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奈良の若草山焼き

今日、奈良の若草山の山焼きが開催されました。無事燃えたようです。


私の奈良の実家からは、とても山焼きの焼けるのがよく見えます。春日大社の聖火から松明に火を移し、若草山麓まで火を運ぶ聖火行列や、山焼きの無事を祈る祭典がとり行われた後に花火そしてラッパの合図と共に火が入れられる、一大イベントです。消防分団の方や県の職員、警察や公園事務所の方やいろいろな方の協力で山焼きが行われています。


若草山焼きについては http://www.kasugano.com/wakakusayama/ をご覧ください♪


~上記HPより~


山焼きの由来
一般に信じられているのは、春日・興福寺と東大寺の領地争いがもとだといわれています。詳細にいうと、現在奈良公園の中を流れている吉城川を境として、南
側が春日・興福寺、北側が東大寺の領地であり、その吉城川の上流が水谷川で、この川は春日山と若草山の谷間を作っています。若草山の西南の麓には東大寺の
作った石荒神があり、二重目の谷間には春日末社の石地蔵(南無春日大明神とかかれており、明治時代に一重目春日末社野上神社に移されました、さらに三重目
頂上にある鶯塚には東大寺の立てた石碑が残り、両社寺の境界が若草山一帯では相当複雑であったことを物語っています。 若草山焼の起源の一説は、双方の境
界関係が表面化した宝暦10年(1760年)、奈良奉行がこの事件を5万日預かると仲裁し、関係者立会いで山を焼いたのが始まりと言われています。
また、一説には、この若草山にひそむ猪を追い払うためとか、あるいは害虫を焼き払うためとか、さらには春の芽生えを良くするための原始的な野焼きの遺風を伝えたものとかの起源との考もあるようです。いずれにしても勝手気ままに焼くと付近の堂塔伽藍に延焼する恐れもあるので、毎年日を決めて焼くことになったものでしょう。 明治以降をみると、明治11年2月23日に行われ、現在のように夜間行事となったのは同33年2月17日です。(春日日記)戦前は、2月11日に行われ、昭和25年からは、成人の日であった1月15日に行われていました。
平成12年からは、祝日三連休化を目的とした祝日法の改正により、曜日指定となった「成人の日(1月の第二月曜日)」の前日の日曜日に行われています。


 若草山の由来
若草山は古くから葛尾(つづらお)山、九折(つづらお)山といわれ、江戸時代中期にもこの名前で呼ばれています。奈良時代の終わりから平安時代の歌には若
草山の名前がでてきますが、葛尾山の雅称であったようです。葛尾山の記述は、1589年の「多聞院日記」にも見られ、当時もまだこの名前で呼ばれていたと
いえます。
若草山という名前は文久元年(1861年)古地図にはその名称が記載され、この頃は「若草山」の名前の方が一般的になったことがうかがえます。


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主人はまだ、この若草山焼きを見たことがありません。ぜひ一度見てみたいと申しております。2007年は1月14日の予定だそうです♪





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2006年01月08日 01:33に投稿されたエントリーのページです。

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