平成22年2月22日の2の語呂合わせの日に、東京に行ってきました。
今回行ったところが、ほとんど「銀座の並木通り」に沿っていましたので、「並木通り紀行」と名づけました(笑)。

羽田空港に到着し、モノレールで浜松町まで、そして山手線で有楽町駅で降りました。駅から歩いて5分くらいのところ、銀座1丁目5-14に来ました。
ここの場所は、俳人の鈴木真砂女さんが営んでいた「卯波」という小料理屋のあったところなんです。
2008年1月25日に、「卯波」は51年の歴史を経て閉店しました。
「卯波」は俳人・鈴木真砂女さんが昭和32年に始めた小料理屋さんです。
お孫さんがお店を続けておられたそうなのですが、立ち退きのため止む無く閉店を決意されました。
卯波ホームページhttp://www.h7.dion.ne.jp/~unami/index.htm

今は店の姿はもうなく、再開発のためさら地になってしまいました。
やっぱり跡形もなく無くなってしまって、本当に淋しいなーと思いました。

この神社のちょうど後ろにお店はあったようです。
神社の中を掃除しているおじさんに、聞いてみました。
私 「『卯波』さんって、どのあたりにあったんですか?」
おじさん 「ちょうどね、この神社の後ろあたりだよ。」
私 「へぇー。もうお店はなくて残念ですね。」
おじさん 「あ、そうそう、卯波さんやってるよ。この隣のビルの地下に・・・もう近日オープンじゃないかな。」
と、教えてくださいました。

ちょうど、路地を挟んで神社の隣に新しいビルがあり、そこの地下1階にお店を移されたということでした。

あ、花輪が出てる!
ということは、もうオープンしているってことですね!
なんだか、ほっと安心した気持ちになりました。
真砂女さんのお店が、また違う場所だけどほんの近所で復活しているんだ!って思うと、とても嬉しくなりました。

並木通りというと、銀座のブランドショップが立ち並ぶ高級なイメージがありますが、この辺の1丁目あたりは、ちょっと違う雰囲気がしました。
おじさん 「3時ごろから来るはずだよ。夜しかやってないからね。また来てみな。」
【実りのとき】より-------------------------------------------------------------------------
鈴木真砂女
生家は房総地方に名の通った老舗旅館で、現在は「鴨川グランドホテル」という名前になっています。
昭和4年、22歳で東京・日本橋の問屋の息子と恋愛結婚し、女児を生みましたが、夫は賭博に入れ込んだあげくに蒸発してしまいました。真砂女の大波乱人生の幕開けです。真砂女は致しかたなく実家に帰り、家業の旅館を手伝っていました。
ところが昭和10年に、旅館の女将を継いでいた姉が急死してしまいました。家業の存続を思う父母の涙ながらの願いで、真砂女はやむを得ず義兄と再婚しました。こうして真砂女は28歳にして老舗旅館の女将となりました。真砂女はある著作の中で、「夫は良い人だ。だがどうしても好きにはなれない。」と書いています。真砂女の大波乱人生の第2幕が始まろうとしていました。
若くして亡くなった真砂女の姉は、俳句をたしなんでいました。その姉の遺稿を整理しているうちに、真砂女は次第に俳句の世界に惹かれて行きます。幸薄い自分の人生を思うにつけ、それを俳句に詠まずにはいられなくなりました。
夫運なき秋袷(あわせ)着たりけり 鈴木真砂女
後に久保田万太郎に師事し、俳句結社「春燈」に所属するようになりました。30歳のとき、真砂女は旅館に泊まった海軍士官と運命的な恋をしました。相手は7歳も年下で、すでに結婚していました。
羅(うすもの)や人悲します恋をして 鈴木真砂女
やがて、真砂女は戦争に出征する恋人の後を追って家を出奔します。その後、また家に帰りましたが、もう夫婦の間には埋めることのできない深い溝ができてしまいました。
50歳のとき、真砂女はついに離婚し、東京・銀座1丁目の路地裏に小さな小料理屋を始めました。店を借りる際には、作家丹羽文雄が保証人になってくれたとのことです。銀座といってももう有楽町駅に近いところで、都心としてはごく普通の商店街の中です。
店の外には「卯波」という看板が出ていましたが、この名は真砂女の代表句
あるときは舟より高き卯波かな 鈴木真砂女
からとったものです。真砂女自身も、この名句を誇らしく思っていたのでしょう。
さて、真砂女は前記のように50歳からこの小料理屋の経営を始めました。当時の50歳は、現在の50歳とは違ってもう老境の入口でした。その年齢からこの仕事を始めた真砂女の精神力に感嘆します。
幸い、俳句仲間や文人たちの暖かい支援もあり、やがてこの店は小さいながらも銀座の名店の一つに数えられるまでになりました。その間、真砂女のつらい日々を支えたのは、やはり俳句でした。
幸は逃げてゆくもの紺浴衣 鈴木真砂女
江戸以来、俳句は「ゆとり」、「あそび」の世界を主たる対象としてきました。生活感の排除をもってよしとする傾向すらありました。その中で、真砂女は実体験の切なさをもとに、男女の愛の句という新ジャンルを開拓したのです。
1999年には、句集「紫木蓮」で、その年の最も優れた句集に与えられる蛇笏賞をうけました。2003年3月、真砂女は96歳の長寿を全うして大波乱の人生を終えました。
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鈴木真砂女さんの句は、その人生の波乱万丈を感じさせ、現在生きる人間にはあんな俳句はできないんだろうな・・・・と思わせられます。
「羅や人悲します恋をして」
旅館の女将が泊まった陸軍士官と恋をして出征する恋人の後を追って家を出奔するのですが、本当に好きだったのでしょうね。
真砂女さんは自分に素直に生きてきたんだなーって思います。自分の意思を通すことによって、悲しむ人がいると・・・・俳句に詠んでいるのです。
そんな鈴木真砂女さんの生きた場所に立てて、感無量でした。